大学で、まともな奴なら就活を始める時期になって俺は休学した
2年間の猶予が与えられて、甘く腐った日々に俺は歓喜していた
空位の日々と言えるだろう
親も俺を信用しなかったし、当然だと思ってた
クズなんだもの
何の仕事にも魅力を感じなかったからだ、俺はきっと社会不適合者なのだと思った
だから変わりたかった、あえて辛い仕事に就こうと思った
一度も勝てなかったが甘えた自分が嫌いだったんだ
そうして大学6年生の俺は酒を飲みながら勉強して、試験に受かった
10月だったか、試験に受かった後はもう何の気負いも無い、幸福で静止した毎日だった
3月31日、実家に俺はいた
母は祖母の介護のために、父は単身赴任のために家にいなかった
俺は一人で荷造りを終えた
(´・ω・`)
心細かった
明日から8人部屋で、プライバシーも何もない
酒も飲めない、オナヌーだってできない携帯電話も使えない
規則正しく清廉潔白な日々を思うとどこかへ逃げたかった
なんだか海が見たかった、海というか春の砂浜が見たかったと思う
俺は酒が大好きだった、でももう数ヶ月は一滴も飲めないし外にも出られない
しばらくお別れだと思い、若い俺には不似合いな値の張るウィスキーを買ってロックで飲んでいた
こうなると実家の製氷皿の氷すら愛おしいのだった
そうして逃げるように酒を飲んでいると母から電話がかかってきた
「何もしてあげられなくてごめんね。」と電話口で言う母は、祖母方の親戚の目もはばからず泣いているようだった
俺はますます暗澹たる気持ちになっていくのを感じつつ、大丈夫だよとだけ繰り返して電話を切った
いくら飲んでも酔いはするが眠れず、深夜2時に中島みゆきの
銀の龍の背に乗ってを聴きながら、俺はただ静かに涙していた
なぜ集団生活を選んでしまうのか
結局、3時間も眠れなかったと思う
4月までに2度ほどその、集団生活をする施設に行って手続きだの体験学習をする日があったが
もう恐ろしくてならなかった
空気が娑婆と違うんである、シンと冷えているんだ
すれ違う、後の先輩方の目が違う
恐ろしさの中に哀惜が有る、そんな目付きだった
哀れまれるような環境に身を投じるのだと分かった
そしてそれは覚悟していたことだった
自衛隊か
コミュ障だときついぞ
大きなカバンを2つ抱えて、俺はバスに乗って向かった
同じ髪型の、同じくらいの年齢の奴が何人も乗っている
みんな悲壮な面持ちなんだ
なにも犯罪を犯したわけではないんだが
でもこれが正常なんだと思った、俺は社会不適合者なのだから
少なからず今日から、数時間後に自己紹介することになる俺達は
異常なんだろう
まともならきっとまともな生活があったはずなんだ
それを捨てた俺達はいわば共犯者に近い
バスから見える景色のコンビニも、本屋も
しばらくお別れだった
誰も読んでないぞ
いやここまでコピペなんだよ
誰か書いてくれこの先
>>14
お前の話じゃないの?
>>14
お前が書け
これ6年くらい前だかに、警察学校に行くってヤツが立てたスレの文章なんだよ
可哀想な奴だったんで覚えてんだけどここで止まってんだよ
奴は警察官になれたんだろうかな
何だ
コピペか
引用元: 2chsc
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